フェイシャル エステのココを見逃すな
従来の文化は、更年期を暗く湿って品かるのだ「秘密の小道」に閉じ込めてきた。
からだの変化はなおさらのこと、屋根裏部屋の秘密とされ、家族やごく親しい女同士が集う場でさえ、話題にすることは避けられてきた。
そういった歴史や女性問題といわれるものにセンシティブであろうとすればするほど、更年期を、力溢れる「光年期」とし、再定義したい気持ちになる。
あまりにも長い間、不当に扱われてきたこの季節に、新しい光を当てるために。
わたしたちは、月経を禁忌とした過去の歴史に異議申し立てをしてきた世代だった。
女であるなら、誰でも経験があるはずだ。
楽しみにしていた旅行に出発する朝、予期せ泊訪問者が。
「あれ、まだのはずだったのに」。
こんな時、月経は、正直うっとうしく面倒なものだったし、決して「爽快」なものでもなかった。
ひとつの文化、ひとつの潮流に異議申し立てをすることは、自分が身を置く文化の中で孤立する危険性を敢えて負うことでもある。
が、自らが納得していることであるなら、それ自体は、たいしたことではない。
最も危険なことは、従来の流れに「NO」と言うために、影不安や不快、歓迎しがたい変化:・から目をそらし、光ばかりを強調することだ。
影ばかりを強調した文化に対抗するカウンターカルチャーとして、それは有効ではあるが、誠実な方法ではない。
これは、長い間、フェミニズムにかかわってきたわたしの自戒の言葉でもある。
何にでも、光があれば、影もある。
どちらかに偏ることではなく、Eちらからも目を逸らすこともなく、どちらをもまた、その中間のグラディションもきちんと描きたい。
更年期についても、これからわたしが迎える老いの季節についても、わたしはそう考える。
その上に、それぞれが手にしている明日という光を描けたら、と。
そう、更年期は人生のフィナーレではない。
まだまだ人生は続くのだから。
あの時は、クラスメートの祖父母の家だったが、いまわたしたちは、昼下がりのホテルのトイレにいる。
彼女はそれから、親しみをこめた様子でわたしの肩をポンと叩いて、さらに続けた。
トイレから出たわたしが、鏡に向かっていた彼女わたしより一歳年上に、次のような話をしたのがきっかけだった。
そうして、いまのところ、キ−プできている我慢の限界が、この先さらにもっと短くなるかもしれないね、と。
やはりわたしたちは、質的な違いはあっても、思春期と同じような変化の扉の前にいるのだ。
彼女とわたしはトイレの鏡の前で、しばらくそのことを話し合った。
そうなのだ。
やたら精神論風なガンバリズムの押しつけや、元気印の旗を振り回すことは、その思いとは反対に、向性を疲れさせ、萎縮させ、更年期という季節を、再び沈黙の彼方に追いやることに役立つだけかもしれない。
月経の期聞が極端に短くなったのと、月経周期が間遠になったからである。
たぶん、何もなければこのままフエイド・アウト、閉経を迎えるに違いない。
昨夜のこと。
ある会合からの流れだという仕事仲間から電話が入った。
受話器の向こうから、聞き覚えのある歌声が聞こえていた。
カラオケのあるパーからの電話であるらしい。
わたしは欠席の返事を出しておいたのだが、これから出て来ないか?という電話である。
パスロープを着て、とっぷりとカウチに沈みこみ、ジャニス・ジョプリンの古いレコードを聴いていたわたしはそう答えた。
カラオケで妙に思い入れたっぷりに歌われる「マイ・ウェイ」を聞かされるよりは、ジヤニスの「ミ−・アンド・ボピ−・マギ−」を聴いていたほうが、はるかに楽しい0心にしみる。
四十代になったある時期から、わたしは「おつきあい」と呼ばれるものを、自分の暮らしの中から、ひとつひとつ整理していった。
もともと、大勢の人が集まるところが苦手だった。
わたしのそういった性格を、仲間たちが以前から理解していてくれたこともラッキーだった。
仕事の打ち合せとドッキングしがちな「お食事を」も、可能な限り辞退させてもらうことにし、やむを得ない場合は、簡単なランチをとりながらのそれに変えてもらった。
すると、当然ながら夜の自由時聞が増えてくる。
本も読めるし、の散歩の時間もたっぷりとれる、と書いて思い出した。
いとしの同居犬、パースとの埋山になったのだった。
これらの生活上の変化と更年期は、直結することではないかもしれない。
女友だちの数人を過労死としか呼べないような無念な形で見送ったあの日々。
わたしは痛感した。
死はわたしたち更年期世代が予想する以上に、かなり説得力のある犬好きにとっては特に、リストラ同世代の喪失と悲しそうして、わたしは決めた。
仕事は好きだけれど、仕事をとったなら何も残らないような人生は悲しい。
かといって、趣味三昧、といった日々も、わたしには想像しにくい。
趣味でも何でも、次から次へと新しいことや資格にチャレンジし続ける人生も、どことなく痛々しい。
何をやっても満足できない焦燥感が、彼女を資格サ−ファ−に仕立てあげている限り。
そうと望めば、新しいことに挑戦する気力とエ、不ルギーをできるだけキープしつつ、まずは、もう少し丁寧に日常の暮らしと向かい合いたい。
その「丁寧」にあたるのが、わたしの場合、土いじりであり、パースとの蜜月であり、結局は、ひとり居の時間だった。
ひとりの時間と空聞が不足すると、精神的に窒息状態になるわたしは、こうして自分に水やりをする時空を獲得した。
わがままかもしれない、と思う。
メノポ−ズの季節とは、囲て、「わたしのわがまま」を貫いてもいい季節であるとも思う。
誰かに迷惑をかけない敬愛するメイ・サ1トンは次のように書いている。
味を探り、発見する、ひとりだけの時聞をもった向かぎり、友達だけではなく、情熱かけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない」(『独り居の日記』武田尚子訳、みすず書房刊)。
メノポ−ズ世代にとって、大事なことのひとつに、自分のこころとからだの声に耳を澄ますことがあるのだから。
自分とつきあう時間は、与えられるものではなく、紗しい壁や塀や囲いを乗り越えて、素子で掴みとるものである。
ここ数年、海の向こうでも、更年期や、それ以降の人生をテ−マとした女性著者による本がたくさん出版されている。
そういった本の著者のほとんどは、六0年代後半から始まった女性運動の洗礼を受けているひとが多い。
人生に率直でありたい、「わたしの人生はわたしのもの」と考え、歴史や社会のありように、また男性中心主義に果敢に異議申し立てをした女たちがいま、人生の午後と呼ばれる年代を迎えていることと、それは決して無縁、ではないだろう。
彼女たちにとって、わたしたちにとって、かつての、テ−マは、次のような要素から成立している。
いま現在にも続く大きな沈黙を破ること。
そうして、その結果、社会が個人に覆い被せてきた「蓋」をとること。
さらに、個人的な体験を普遍化し、同時に他者の体験を自分に引き寄せること。
その過程を通して、互いの体験を普遍化し、同時に他者の体験を自分に引き寄せること。
そうして、痛みや不安を共有すること。
さらに、あまりにも長い間続いたために半ば「常識」となった既成の価値観を破って、新しい、自分たちの価値観を確立し、妹の世代に手渡すこと。
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